梅雨のように雨がちなこの頃、こんな時期には紫陽花の花が似合います。
行ってみるかということであじさいまつりをやっている黒羽へ、
折角なのでチョット周りにも足を伸ばしてみました。

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東北道を車を走らせ那須インターに、黒田原を経て芦野野町に入りました。

芦野に入り294号線を白河の方へ北上すると田んぼの中にぽつんと柳の繁みが目に入ってきます。
謡曲「遊行柳」、そして芭蕉の奥の細道でも詠まれている柳です。

294号線沿いに休憩所、駐車場「遊行庵」が整備されていますのでここに車を置いてあぜ道の風に吹かれてつかの間のお散歩を。

 

芭蕉は奥の細道でこの柳をこう書いています。

『又、清水ながるゝの柳は蘆野の里にありて田の畔に残る。
此所の郡守戸部某の此柳みせばやなど、折ゝにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。
「田一枚植えて立ち去る柳かな」 』

西行法師が「清水流るる柳かげ」と詠んだ有名な柳は芦野の里にあって、今も田の畦道に残っている。
ここの領主戸部なにがしが、「この柳を是非お見せしたい」と折に触れて仰有っているので、どの辺にあるのだろうと思っていたが、今日とうとうその柳の陰に立ち寄ることが出来た。
(西行が涼しい木陰で思わぬ長居をしてしまったという柳の木陰で感慨をこめ思いめぐらした。そして我に返って、)早乙女達を手伝い田植えをしてこの柳をあとにした。

【遊行柳】謡曲「遊行柳」は、観世信光の晩年の作品で、室町後期の1514年に初演された。
奥州行脚の際に遊行上人(一遍上人)の前に老人が現れ、西行歌に詠み込まれた「朽木の柳」という名木に案内する。老人は上人から念仏を授かり柳のある古塚の陰に消える。夜、柳の精が白髪の翁の姿で現れ、柳にまつわる故事を物語り、謝辞の舞を舞って消える。
西行はこの柳を「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」(新古今集、山家集)と詠んでいます。  
角川文庫「奥の細道」を参考にしております。
 
 
西行も芭蕉もここに来たんだ!と何となく感慨深い思いがしてきます。西行を敬愛していた芭蕉にとっては西行が訪れた地に立ったということでもっと感慨深いものがあったのでしょうね。
芭蕉が田植えを本当に手伝ったのかな?としたらどの田んぼかな?そんな思いを巡らせて見るのも心の休息タイムにはよいかも。
昔と変わらず柳の周りを田んぼが囲み、もう既に稲は青々とししています。
 
芭蕉サイト:芭蕉DB(奥の細道)  芭蕉庵ドットコム
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